市場は確率で動く──顧客の“サイコロ”を支配するマーケティング思考

「マーケティングとは何か」という問いに対し、多くの人が「モノを売る活動」「広告や販促」「市場調査」といった断片的な答えを思い浮かべるだろう。しかし、マーケティングの本質はもっと深いところにある。マーケティングとは、単に商品やサービスを売るための手段ではない。マーケティングの真の役割は、「売れる必然をつくること」である。

市場において偶然に売れる商品も存在する。しかし、ビジネスとして持続的に成果を上げていくためには、「なぜ売れるのか」を設計し、その確率を意図的に高めることが不可欠だ。つまり、「売れる必然」を構造として築き上げることこそがマーケティングの使命なのだ。

第一章 消費者の選択行動──頭の中で振られるサイコロ

消費者が商品やサービスを選ぶ瞬間は、しばしば本人にも論理的に説明しきれない「選択の瞬間」である。この選択行動は、いわば「頭の中でサイコロを振っている」ようなものだと言える。消費者は、買い物をするときに意識的・無意識的にいくつかの選択肢を思い浮かべる。その中から、自分なりの理由や直感、あるいは単なる偶然によって、最終的に一つを選ぶ。この「サイコロ」が何回振られるか、つまりどれだけの消費者の頭の中に自社の商品が選択肢として存在するかが、市場における重要な勝負の分かれ目となる。

企業視点で見れば、消費者一人一人がサイコロを振る総数の合計が、市場シェアそのものであると言える。そして、マーケティングの成果とは、このサイコロの「面」をいかに多く獲得するかにかかっている。つまり、選択肢の中で自社商品が占める割合をいかに高めるかがマーケティングの戦いの核心なのである。

第二章 売れる必然を生む3つの要素──「認知」「配荷」「好意」

「売れる必然」を生むためには、具体的にどのような要素が必要なのだろうか。その答えは、大きく三つの要素に集約される。

1. 認知──頭の中にサイコロを置くために

まず最初に必要なのが「認知」である。認知とは、消費者がその商品やブランドを「知っているかどうか」という入り口だ。そもそも知らない商品は、消費者のサイコロにすら登場しない。たとえ優れた製品であっても、認知されていなければ市場で選ばれることはない。認知が低いということは、川の上流で水がせき止められている状態に等しい。水は流れる力を持っているにも関わらず、そもそも流れ込む入り口が閉ざされているのである。

2. 配荷──物理的に手に入る環境を整える

次に重要なのが「配荷」、つまり消費者がその商品を購入できる物理的な環境である。たとえ認知されていても、消費者が実際に商品を購入できる場(店頭、ECサイト)が限られていては、選択肢に入っていても最終的な購買につながらない。配荷の問題は、上流の湖から流れてくる水が、途中でせき止められている状態と同じである。十分に水(需要)が存在していても、配荷が悪ければ、その水は自社の「バケツ」に注がれない。

3. 好意──ブランドの傾斜をつくる

そして、最も重要なのが「好意」である。「好意」とは、消費者が持つブランドへの相対的な好意度を指す。同じように認知され、配荷もされている競合商品が並ぶ中で、最終的にどれが選ばれるかは、ブランドに対する好意が決定打になる。この「好意」は、川の傾斜に相当する。傾斜が大きければ大きいほど、水は勢いよく流れ、自社のバケツに大量の水(売上)が注がれることになる。

マーケティングのひとつの役割は、この認知と配荷の障害物を取り除き、川の流れをスムーズにする「治水工事」である。そして、もう一つの重要な役割は、川の傾斜、すなわちブランドへの好意を高めることで、水(需要)の流れを一層強くし、自社の売上を最大化することである。

第三章 ブランド好意を高める三つの要素──好意を科学する

では、この「好意」をどのようにして高めれば良いのか。その鍵を握るのは、以下の三つの要素である。

❶ 機能的・情緒的便益

第一に、商品やサービスが消費者にとって機能的・情緒的にどのような便益をもたらすかが重要だ。機能的便益とは、商品の性能や利便性、問題解決力のこと。一方、情緒的便益とは、使うことで得られる喜びや安心感、自己表現といった感情的価値である。たとえば、ある洗剤がしっかり汚れを落とす(機能的便益)だけでなく、香りが良く、使うたびに気分が上がる(情緒的便益)のであれば、その商品への好意は高まる。

❷ 価格

次に、価格の適正感も好意に大きく影響する。価格が安ければいいというわけではない。消費者は「この価格で、この価値なら納得できる」と判断したときに、好意を高め、購買に踏み切る。高価格帯の商品であっても、その価値が十分に伝わり、納得感が伴えば、消費者は強い好意を持つ。逆に、割高感がある場合は、いくら認知されていても選ばれにくい。

❸ ブランドエクイティ

最後に、ブランドエクイティ(ブランド資産)の積み上げが好意形成に大きく寄与する。ブランドエクイティとは、長年の積み重ねで形成されたブランドイメージや信頼のことだ。消費者がそのブランドに対して感じる「良いイメージ」「信頼できる」「社会的に価値がある」といった資産が、好意のベースとなる。たとえば、Appleやトヨタが強いブランドエクイティを持っているのは、長年にわたり積み上げた品質、顧客体験、社会的メッセージの蓄積があるからだ。

結章 マーケティングは「確率」を設計する技術

マーケティングとは、単に売れるように仕向けることではない。マーケティングは、消費者が頭の中でサイコロを振る「選択の場」において、自社の面がより多く登場するように設計し、その面を選んでもらう確率を高める活動である。そのためには、「認知」「配荷」「好意」という三つの要素を着実に整え、市場に存在する本来のポテンシャルを最大限に引き出すことが必要だ。

マーケティングとは、確率をコントロールし、売れる必然を科学的に構築する戦略的技術である。市場という大きな湖から、自社のバケツに水を最大限引き込むために、治水工事を施し、川の傾斜を作り、流れを加速させる。そこに、マーケティングの真の価値があるだろう。