ル・コルビュジエ
1. Origins
生い立ちと形成期
ル・コルビュジエは1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれた。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。父は時計職人であり、若い頃は装飾芸術と工芸の教育を受けている。初期教育において重要なのは、建築を純粋な芸術ではなく、技術・産業・生活と結びついた実践として学んだ点である。1900年代初頭にはヨーロッパ各地を遍歴し、工業建築や伝統的集住形式を観察した経験が、後の建築思想の基礎となった。
2. Paris and Purism
パリとピュリスム
1917年にパリへ移住し、画家アメデ・オザンファンとともにピュリスム(Purism)を提唱する。ピュリスムは、キュビスムの装飾化を批判し、明確な構造、幾何学的秩序、機能性を重視する芸術運動だった。この時期、ル・コルビュジエは建築家であると同時に画家・理論家として活動し、建築と絵画を共通の構成原理で捉える姿勢を確立していく。
3. Architecture as System
建築を体系として捉える
1920年代、ル・コルビュジエは建築を個別の造形ではなく、再現可能な原理の集合として整理した。代表的なのが「近代建築の五原則」である。ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面は、鉄筋コンクリートという新技術を前提とした合理的な構造原理だった。サヴォア邸(1929–31年)は、これらの原則を統合した代表作として知られている。
4. Urban Planning
都市計画という野心
ル・コルビュジエは建築単体に留まらず、都市全体を設計対象と考えた。「輝く都市(Ville Radieuse)」に代表される都市計画案では、高層住宅、機能分離、交通動線の整理が提案された。これらは戦後の都市計画に大きな影響を与えた一方で、画一化や人間性の欠如といった批判も同時代から存在していた。
5. Postwar Architecture
戦後建築と変化
第二次世界大戦後、彼の建築はより彫刻的で粗い素材感を持つ方向へと変化する。ロンシャンの礼拝堂(1950–55年)は、幾何学的合理性よりも光や身体的体験を重視した建築であり、ル・コルビュジエの思想が固定されたものではなかったことを示している。
6. Modulor
人間尺度の探究
ル・コルビュジエは、人間の身体寸法と黄金比を組み合わせた比例体系「モデュロール(Modulor)」を考案した。これは建築のスケールを人間に結びつける理論的試みであり、万能ではなかったが、建築における人間尺度を体系的に扱おうとした点で重要である。
7. Chandigarh
実現した都市
1950年代、インドの新都市チャンディーガルの都市計画と主要建築を手がける。これは彼の都市思想が大規模に実現した数少ない事例であり、都市を一つのシステムとして設計する試みだった。同時に、この都市も人間的多様性やスケールを巡る議論を呼び続けている。
8. Legacy
遺産と評価
ル・コルビュジエは1965年に没した。彼の仕事は、正解を提示したのではなく、建築を社会・技術・制度の問題として考える枠組みを残した点にある。その影響は住宅政策、都市計画、公共建築、さらにはその批判にまで及び、20世紀以降の建築に決定的な影響を与えた。



