吉阪隆正

1. Origins

生い立ちと学びの出発点

吉阪隆正は1917年、東京に生まれた。東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、建築を専門技術としてだけでなく、人間の生活や社会構造と不可分な行為として捉える関心を早くから示していた。戦中・戦後という社会的断絶の時代を背景に、建築が担うべき役割を根本から問い直す姿勢が形成されていく。

2. Paris Years

ル・コルビュジエのアトリエで

戦後間もない時期に渡仏し、パリでル・コルビュジエのアトリエに参加する。設計実務に携わりながら近代建築の理論と実装を直接学んだが、吉阪の関心は造形の模倣には向かわなかった。合理性や普遍性が、実際の人間生活にどのように適合するのかという問いへと向けられていた。

3. Return to Japan

早稲田での教育と研究

帰国後、吉阪は早稲田大学で教育と研究に携わる。建築を単なる設計技術として教えるのではなく、人間・社会・環境を総合的に扱う学問として位置づけた。その講義と研究は、建築、都市、民族、生活様式を横断するものであり、当時としては極めて異色の試みだった。

4. Human Ecology

人間と環境の相互関係

吉阪隆正の思想の中核には、「人間は環境の一部であり、環境は人間の延長である」という視点がある。住居や都市を完成された造形としてではなく、変化し続ける生活の器として捉えたこの考え方は、建築計画から生活調査へと広がっていく。

5. Fieldwork

フィールドワークという方法

吉阪は図面や模型だけで建築を理解することを拒み、実地調査を重視した。世界各地の集落を訪れ、住居形式、身体動作、社会関係を観察・記録する手法は、建築と人類学を横断するものだった。フィールドワークは彼にとって、建築思考そのものを鍛える方法であった。

6. Practice

建築作品における姿勢

吉阪の建築作品は、強い造形的主張を前面に出さない。一方で、動線、拡張性、使われ方の変化を前提とした構成が特徴的である。建築は完成時点で終わるのではなく、使われながら更新される存在だという認識が一貫している。

7. Writing

著作と言語化

吉阪は多くの著作を通じて、自身の思考を言語化した。そこでは建築理論、生活論、文明批評が交差し、専門分野の境界が意識的に越えられている。彼の文章は、設計手法を教えるためではなく、建築を考える枠組み自体を揺さぶることを目的としていた。

8. Legacy

遺産と影響

吉阪隆正は1980年に没した。建築作品数は多くないが、教育・研究・思想の面で後世に与えた影響は大きい。建築を人間学・環境学として捉える姿勢は、建築教育や都市研究に確実に受け継がれている。