坂倉準三

1. Origins

生い立ちと建築教育

坂倉準三は1901年、岐阜県に生まれた。東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、1929年にフランスへ渡る。日本における近代建築がまだ理念段階にあった時代に、坂倉は直接ヨーロッパのモダニズムと向き合う道を選んだ。この選択が、彼の建築観を決定的に形づくることになる。

2. Atelier Le Corbusier

ル・コルビュジエのもとで

坂倉はパリでル・コルビュジエのアトリエに参加し、1930年代を通じて実務経験を積む。単なる助手ではなく、設計実務を担う建築家として活動し、近代建築の理論と実装の両方を身につけた。この時期に重要なのは、坂倉が造形や理論を模倣したのではなく、建築を社会・制度・生活の問題として捉える視点を学んだ点である。

3. Paris Expo 1937

国際舞台での実証

1937年のパリ万国博覧会において、坂倉は日本館の設計を担当する。鉄とガラスによる合理的構造を用いながら、日本的な空間構成や軽やかさを備えたこの建築は高く評価された。モダニズムの原理と日本的空間感覚の両立が可能であることを、国際的に示した事例である。

4. Return to Japan

戦後日本での実践

戦後、坂倉は日本に帰国し、本格的に活動を再開する。復興期の日本において、住宅不足や公共建築の整備が急務となる中、彼の建築は過度な理念提示やモニュメンタリズムを避け、生活の延長として機能する近代建築を志向していた。

5. Architecture and Daily Life

生活に根ざすモダニズム

坂倉の建築は、構造合理性に基づきながらも、人間の動線やスケールに強い配慮がなされている。空間は固定的ではなく、柔軟に使われることを前提としており、日本建築の可変性や中間領域の思想と、近代建築の合理性を接続するものだった。

6. Teaching and Institution

教育と制度への貢献

坂倉は教育者としても活動し、後進の育成に尽力した。また、日本建築家協会(JIA)などを通じて、建築家の社会的職能の確立にも関与した。建築を個人表現ではなく、社会制度の一部として成立させる姿勢は一貫している。

7. Internationalism

国際性と日本性

坂倉は、日本的様式を強調することには関心を持たなかった。彼が目指したのは、国際的に通用する建築言語を用いながら、日本の生活文化や環境条件に適応させることである。近代建築を輸入したのではなく、日本の文脈に翻訳した建築家であった。

8. Legacy

遺産と評価

坂倉準三は1969年に没した。彼の仕事は、日本の戦後モダニズム建築の基礎を形成し、その後の建築家世代に大きな影響を与えた。重要なのは、様式を残したのではなく、近代建築を生活と制度の中で成立させる方法を示した点にある。